‘さよなら ありがとう 幸せになってね’
きのこ帝国「ロンググッドバイ」にあるさよならと、最新作「猫とアレルギー」における別れの違い
根底にあったさよならは、バンドの原型、きのこ帝国というパズルの一つを成すものだと思う。
それは初期のアルバムにも大いに漂っている。どうしようもない、という諦め、それを意識することによる追憶。
叶わないものから、順番に愛してしまう / N2.海と花束
そのさよならに迷いはない、振り返らない強さがあった。「ごめんね」と言うのは忘れずに、だけどそのごめんね、こそが、なくなるものなら無くなっていいと、言っているように聞こえた。
落ちた花びらが元には戻らないように。咲いたばかりの花とは違う美しさで、落ちた花びらもまた美しかった。
潔さと誠実さ、儚さと美しさがないまぜになった曲たちには、ある種の清々しさを感じる。
それは、さよならをすることで、始まることがあるんじゃないかって、リスナーに想像させるには、涙を乾かせるには十分な風だった。
歩けなくなるような夜もあって、その中でも背中を押される。頑張れ、元気出せ、精神論でダメ押しされて、それでもみんな歩いているんだと、'さよなら'を分かったような口で歌う曲。そういう曲はTVに溢れていた。そんな僕にきのこ帝国は歌う。まるで僕だけに聞こえるように。
愛おしい幻 このままどこまでいこう / N1.ロンググッドバイ
最新作「猫とアレルギー」 にも、その風は吹いているだろうか。
今作もアルバム全体を通して決別を歌っていると思う。しかし、この別れは完全にニュアンスの違う別れだ。
いわば、誰と別れるのか知っている。やってくる痛みに対する防御の仕方を知っているような、どこを殴られるのか知っているような、どちらかといえば別れを「わかっている」こととして捉えているように聞こえた。
別れた後、それを思い出すこと。振り返ること。それによって滲むもの。それを当たり前のように歌っている。
僕にとってそれは衝撃だった。
あなたの顔や あなたの声が 夢に出る夜はどうすればいい
/N1.猫とアレルギー
いままでの曲たちは夜に歩きながら聴くのが好きだった、それはそのままどこかへ連れて行ってくれるような気がしたから。
でも、このアルバムを聞くと現実に引き戻される気がした。
多分、本当は彼女たちはそんな夜の答えを知ってるんだ。どうすればいいか、きっとある程度予想ができている。
これは彼女らが一段階段を登ったんだと思う。
もちろんそれは全然、悪いことではない。控えめに見てもメロディと伸びやかなVoがうまくマッチしていて、すごくいい曲だ。アウトロだってギターの轟音が効いてるし、35℃、Youthful Angerのバンド感も見事だ。
アルバム全域を覆う上昇気流は、バンドがノッてる時期にしか聞けないものだし、そのどこまでも開けた楽曲たちに、きっと新しいファンもつく。
今までのきのこ帝国を聞いてきたリスナーなら、その絶望の深さを知るリスナーなら、これが渦になるを、eurekaを経てリリースした曲なんだと納得出来るだろう。
すごくいいアルバムだ。
でもなぜだろう。
スクールフィクションをはじめてきいたときの高揚感はないんだ。
そんな隣にいる恋人にむけて歌ったような曲を聞いて、僕は胸が締め付けられる気がした。それはきのこ帝国が僕を置いていってしまったような感覚。
僕だけに歌っていた曲は、もうこれから出すことはないのかもしれない。あの日、僕のように、頭をもたげていたリスナーが聞いた音。あの音を望むことは、いまのきのこ帝国には酷なのかもしれない。
それでも僕はまだ夜を歩いている。強くて優しい風と、あの曲たちを連れて。